DIAMOND Onlineに掲載された、立命館大学・上久保誠人教授のコラムから、「野党共闘」の稚拙さについて。 「野党共闘」と言いながらも、基本的な主義主張が異なる、立憲民主党、共産党、社民党、れいわ新選組の妥協の産物で、しかもそれをまとめたのが「市民連合」という不明な団体。
「市民連合」で検索すると、「あぁ、なるほどね」と思ってしまう団体だけれど、確か「野党共通政策」にはサインをしているのは四党だけで、市民連合としては関わっていないんですよね。自分達が提案し、それを実現することを要求しているのに、自分達は表に出ないような行動っていうのは、それだけで先ず胡散臭い。で、調べてみると、その中に登場する人達のこれまで言動も、自分的には「あぁ...」と言うものばかり。
個人的には「市民〇〇」という名称は、基本信用しないことにして居ます。勿論、浜松市内の何かの団体で「(浜松市)市民〇〇連合」みたいな団体は理解出来るけれど、全国的な組織とかなのに「市民〇〇」という事には凄く違和感を感じます。まだ「国民〇〇」なら理解出来るんですが。多分、英語で言うことの"Citizen"とか"Civic"みたいな所から、日本語で「市民」と言うようになったんだろうけど、私は馴染まない言葉だと思うなあ。「市民〇〇」とか「~市民の会」みたいな名称って、本当そう言う人達が好んで付けたがるからなぁ。
後半部分で書かれている、2009年当時の旧民主党政権誕生に至るまでの10数年に関しては、自民党中心の政治が限界であったことは確かだけれど、確かにその当時の民主党の主張として耳を傾けるべき内容もあったことは事実。ただ、政権を取るまでの態度・行動と、政権を取ってからの行動・態度ががらっと変わってしまい、正直政権獲得後の当時の民主党政権や民主党議員は「浮かれていた」と言うのが一番あっていたと思う。最初の野党連合的政権だった、細川政権の時にもそう言う「浮かれ感」みたいなものを感じたけれど、それ以上だったんじゃないでしょうか。今回の選挙前には、立憲民主党の支援団体だった連合が与党支持に傾いたり、その中心だったトヨタ労組が組織議員の立候補を取り止めて自民党支援に回るとか、「野党共闘」する事で支持母体離れを起こしている状態。それでも、労組とかは、まだその内容や組織体が分かるから良いけれど、「市民連合」という曖昧模糊とした存在が共闘の中心に居るって言う状況は、何処にいるか分からない領主に操られている「悪の組織ショッカー」みたいな構図が、つい頭に浮かんできてしまいます。その得体の知れない存在感が、一番の政治不信につながり、投票回避に繋がる気がするんだけれど、彼らはそう言う危機感は無いんでしょうね。自公政権が良いとは思わないし、色々問題があることも確かだけれど、結局は反れに対抗する十分な資質を感じる対抗馬=野党が無い以上は、それしか残らない選択肢であることも事実。今回選挙の結果はまだ分からないけれど、場合によっては立憲民主党が分裂して、より実践的で期待感があるような新党が独立しないだろうか。
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