2018年1月20日

小室哲哉氏引退

週刊誌の不倫報道から、けじめとして引退を発表した小室哲哉氏。不倫行為じたいは道義的に許されないことだし、ましてや小室氏の奥さんのKEIKOさんは闘病中と言う事も有り、軽率と言うには余りにも許されないこと。ただ、そこまで彼を追い込んでしまうことになった週刊誌の報道が、それだけの価値があるものかと思うと、それも納得出来ない。

10年ほど前に、作品の権利関係の詐欺事件で裁判になり、結果的に有罪判決が出たけれど、ファンの根強い後押しでやっと復活してきたところなのに。ただ、復帰後に「マツコの知らない世界」に出演したときに、1990年代の自分が活躍した時代と比較して、最近の音楽が分からないみたいな事をこぼしていたり、なんとなく自分の才能の限界を感じているような話をしたり、疲れたような感じが見られていて(これは、KEIKOさんの闘病支援のために、身体的に疲れていたのかもしれないけれど)、大丈夫かなと感じたけれど、やはりもう心身ともに折れてしまったんでしょうね。

最近やたらと不倫報道が取り上げられていて、その度に謝罪したり何だりが繰り返されていきますが、正直そういう話は当事者同士で話をして解決して欲しい。そこに、DVとか絡んでいて、相手を傷つけていたとか殺してしまったとか言うなら、それは話は別だけれど、正直ここまで追い込むほどの話なのかという気持ちの方が強い気がします。普通の人の間では、それなりに生まれている話なのに、有名人だからと取り上げられてしまうのもおかしいと思うし、大体この記事を取り上げた週刊誌の担当者や会社の人間は、一つの染みも無い清廉潔白な人達だけなんだろうか。「週刊誌」というのは、そういうネタを拾い集めて膨らませて部数を稼ぐのが商売と言われてしまえばそれまでだけれど、芸能人あるいは有名人という「人」のプライバシーを余りに軽率に扱っている気がする。

小室氏が謝罪だけでなく「引退」という事まで踏み込んだのは、これによって一般人になるわけだから、もう週刊誌などの記事対象になりたくないという気持ちの方が強かったのかもしれない。行ってみれば、島田紳助氏と同じなんでしょうね。小室氏自身は不倫行為は否定しているので、今現在堂だという事は言えないけれど、少なくとも誤解を招く行動をしていたことは確かなわけで、その点は反省するべき。ただ、有名人と言うだけで24時間監視されて行動を探られて、その中で一寸したネタになりそうだと思われると、それが事実かどうかは別にして大々的に報道されてプライバシーも何もかも公にされてしまうというのは、ある意味「私刑」に近い気がします。裁判で事実を明らかにするために、いろいろな証言を集めるのは必要だと思うけれど、週刊誌が自ら裁くような世の中って、彼らメディアが言うところの「言論弾圧」社会に近い気がするんだけれど。同じ不倫ネタなら、小室氏よりも山尾志桜里議員の疑惑追及の方が、もっと意味もあるし問題として大きい気がするんですけどね。

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