2017年7月7日

ノンフィクションなフィクション

藤原かずえ氏が指摘し問題となった、TBS系列の情報番組「ひるおび」での意図的なビデオ編集とそれに基づく虚偽報道。あまりに騒がれたので、翌日の放送では訂正はしたけれど、「握手を拒否したのでは無く、記念撮影を拒否しました」と言って終わり。本来、正確な情報提供をすることが最大の企業目的であろう放送局=メディアが、その最大の目標に間違い会っただけで無く意図的にそれを作り出した可能性もあるのに、余りに淡泊な対応。他の企業が少しでもトラブルを起こせば、鬼の首を取ったかのように追求するくせになぁ。

今回の件は、もう一年くらい前の話の小池都知事就任時の様子のビデオなわけで、確かあの時点で「自民党は握手を拒否」というニュースやコメントがどのメディアからも流れていた記憶があります。私も「大人げない」と思いましたから。でも、当時においても時事通信とMXテレビはちゃんと握手している様子を流していたらしいけれど、多分小池都知事vs都自民党という対立構図を際立たせるために、その部分はどこもカットしたんでしょうね。そういう意味で、今回はTBSの「ひるおび」がやり玉に挙がっているけれど、当時「握手を拒否」と放送して、その後訂正していない誤報を謝罪していないメディは全て同罪だと思う。

いつも思うんですが、実時間のタイムラインの本に一部を切り出して、それを組み合わせて元の情報の「ようやく」という形で情報を提供する「メディア」は、それ故に必ず何処かにバイアスは掛かるだろうし、また絶対ノイズは増加するだろう。要約することで、元々の情報に含まれていたノイズがフィルタリングされることもあるだろうけど、逆にノイズだけ残る可能性だってある。昔のメディアは、まだそれらバイアスやフィルタリングやノイズキャンセリングという「情報加工」に関しては少し信頼感もあったけれど、最近のメディアは情報の正確性では無く、より視聴者読者に受けるような刺激を増加させる、エンハンスすることを目的にしているようにしか見えない。

それでも、そのエンハンス(=強調)することで、「事実」がより明確になるなら良いのだけれど、余りにイコライジングをかけ過ぎて、クラシック音楽がジャズやロックになるよりも酷い「情報」が「事実」どころか「正義」とか「真実」という名前で拡散されていくのは、それはもうメディアという看板は掲げるのでは無く「製作会社」と名前を変えないと駄目でしょう。一寸象徴的だと思うの場、アメリカの三大ネットワークに対して、ニュース専門チャンネルとしてCNNが生まれて、その後程なく「ニュースならCNN」という信頼感が一般国民に浸透し、それなりの業績も残してきたと思うんです。でも、時代の流れと共にライバルメディアも誕生するし、同様の報道専門局が世界中に生まれて、CNNとしての存在意義が薄れてくると、CNNが倒したレガシーメディアの世界に彼らも沈み込んで行ってしまう。

その立役者の一つが、twitterやFacebook等のSNSと、それを利用する何億という世界中の「視聴者」だったというのは、一寸皮肉な気もするけれど、でも情報の最終到達者が不満や疑問を感じた時に、次にとる方法は、やはり自分の目や耳で聞くことなのは自然なこと。勿論、その「見聞きすること」も実は既存の様々なフィルターを通して得ることも多いので、SNSを利用していても間違った情報を見聞きして違う認識になる事も有ります。でも、それも「淘汰」の試練というか、そういう中で以下に「事実」を知り、その上で自分が信じる「真実」に昇華できるか、ある意味今の情報時代においての進化が進んでいる証拠なのかも。その証拠に、一寸前まではSNS等の情報を鵜呑みにする人がほとんどだったのが、最近ではネットリテラシーが進み、比較することが増えてきたという話も聞きます。例えば、オークションサイトとかホテル予約サイト、それ以外の様々サービスでも「比較する事」が普通に行われるようになってきた時代だから、そういうリテラシーも身についていくのかも。

「ひるおび」だけで無く、最近ではお昼過ぎの午後の時間帯はこの手の情報番組が各局おしなべて提供しているけれど、そろそろ視聴者も分かってきていて、情報バラエティーという位置付けでしか見なくなっているのでは。大体、有名人がコメンテーターとして搭乗するのは良いけれど、明らかに自分の専門以外の話題に関して偉そうに説明したり解説したりする様子に凄く違和感を感じます。また、MCが台本に沿ってネタ振りする様子も分かるくらい、最近は余りそういう姿勢を隠さなくなってきたように感じますね。そうやって、視聴者は段々経験知を積み重ねて賢くなる一方、メディア側は自らの策に溺れて「ノンフィクション」という名の「フィクション」をますます増産していくのだろうか。いつか「放送局」の意味が「メディア」から「クリエイター」とか「パフォーマー」みたいな意味に変わっていくかもしれない。まぁ、英語では既に「放送=Broadcast=ばらまく、吹聴する」となっていて、別に真実だとか事実という意味は全くないわけですからね。まぁ、無限の現実世界を、あの施米はこの中に凝縮すること自体が無理なわけで、あの中の世界はノンフィクションだから成立していると思った方がいいかも。少なくともネットは現実世界に張り巡らされた「糸」であることは事実ですし。

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