2016年11月11日

仮想と現実の狭間

PCWatch、山田祥平氏のコラムから、MicrosoftのSurface戦略に関して。「Surface」といえば、最初に搭乗したタブレット型の2-in-1タイプの代名詞だったものが、今回の発表ではデスクトップ型というかテーブル形のシステムが登場して、これも「Surface」を名乗るようになってしまいました。その語感から、情報社会をサーフィンのように乗り切るという意味から、Surfaceと菜図桁のかと思っていたら、持ち運びできないようなサイズの物までSurfaceと言うようになって、一寸混乱。まぁ、その辺は
Microsoftのブランド戦略の話なので、他人がとやかく言う筋合いのものでは無いんですけど、でも一寸違和感は感じますね。

個人的に考えるパソコンや情報端末の将来像というのは、今手元に有持ち運びや自宅で使うようなシステムが全て仮想化されて「カスタマイズされた仮想コンピューター」という存在になるだろうと言う事。で、必要に応じてディスプレー部分があるときはタブレットの画面になったり、スマホの画面になったり、デスクトップのモニターになったりするわけで、例えばデジタルサイネージュの一部を一時的に間借りすることも可能になるかも。言ってみれば、攻殻機動隊の世界みたいに、本体(心)は電脳世界に有、それを実際に使う・動かすのは「擬体」になるというようなイメージ。ある程度の未来では、嗜好入力がキーボードを置き換え、HMDや視覚への直接投射がディスプレーを置き換えるような世界になるんだろうけど、それまでは某かの物理的インターフェースは仮想世界と繋ぐためにも絶対必要。オフィスとかだと共用施設として装備することも可能だろうけど、例えば個人が移動中に一寸ログにアクセスするとか、何か情報検索するような場合には、外から見たらこれまでと同様に某かの端末を準備してアクセスしないといけない。結果的には、わざわざ仮想端末を準備して不便状態で利用するよりも、ローカル(最近では、オンプレミスというのか?)にデータや必要な機能(OS+アプリ)を準備して、独立して動いた方が簡単で実用的という、これまでのスタイルに落ち着くんですよね。

昔、パソコンには必ず電源ケーブルが必要で、AC電源が必須であったけれど、ノートブックパソコンの搭乗で「バッテリー」がそれを代替し、ほとんどの場合にAC電源は不要になったように、何らかの方法でネットワークアクセスが代替できるような仕組みが出来れば、もう一つ先の世界へ進むことが出来るかも。いゃ、今でもWi-FiやWANでアクセス出来るじゃ無いと言われるかもしれないけれど、そういうネットワークインフラの区別無くネットワークにアクセスして、ユーザーが意識しないでもネットワークの中にある情報にアクセス出来るようになるのはまだまだ完了していないと思うんですよね。強いて言えば、LTE対応のモバイルデバイスはそれに近いのかもしれないけれど、そうなるとスマホが一番未来のしすてむに近いことになります。

さらに言うと、仮にPocket Wi-Fiとかテザリングでも良いけれど、兎に角常時ネットワーク接続を確保したとして、複数のID(SIM)が必要になるのもちょっといただけない。自分のデバイスには自分のIDを紐付けして、それでまとめて処理できるともっと便利だと思うんだけど。ネットワーク側から見ると、仮想的な個人用アクセスIDが見えていて、全てのデータはそこを通過する。そのIDの内側には複数のデバイスがぶら下がっているけれど、その処理は全て中の人がやる、と。言ってみたらゲートウェイサーバーですよね、これ。仮想と現実の境界線を管理するのだから、文字通り門番をおいて、そこで個人データのスクリーニングやセキュリティ関係の処理、さらには様々な媒体からのデータを自動変換するとか、そういう存在が登場してくれれば、今のパソコンとかスマホがある社会って、かなり変わってくると思う。

Microsoftが、その新しい世界のメインプレーヤーになるのかどうかは分からないけれど、少なくとも今のWindowsに固執している間はその可能性は低い気がする。MicrosoftがWindowsを捨てるとき、あるいは少なくともWindowsの存在を外から見えなくするような事を始めたときには、一寸注意しないといけないかもしれないけれど。

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