2016年9月22日

重国籍論

蓮舫民進党代表の「二重国籍」から派生して、多重国籍容認論があちこちで出ているらしい。個人が自分の考えを持つのは良いと思うけれど、大手メディアあたりが特定国の差別廃止とかと絡めて言うのはお門違いでは。多重国籍とその人に対しての印象は別物だし、別に蓮舫氏に対しても二重国籍を持っていることに対して批判があるのではなく、二重国籍を知っていながら嘘の弁解をした事に対しての不信感、批判が主なんですから。

いろいろな理由から多重国籍のままで「日本人」として生活している人が何十万人もいるというのは、自分からしてみると異常なことのように感じられるけれど、例えば世の中には無国籍の人も多くいるわけで、ある意味常識と思うことでも必ず例外があるという事は事実。ただ、それが許されていることならいざ知らず、罰則は無くともルールとして定められていることに従わないことを恰も正義のように言われることには抵抗がありますね。特に罰則が無いから法を犯しても問題無いという言い方には、それはおかしいだろうと。そんなことを言い出したら、今問題(話題?)になっている豊洲新事象の地下ピットだって、書類上・手続き上はちゃんと承認されて稟議が回って作業しているわけだから、何も問題無いはず。それなのに、あっちは文句を言い、こっちはお咎め無しというのは変では。

今回の蓮舫氏に関しても、未だに「台湾籍の離脱完了した」という宣言が無いからには、現在でも二重国籍状態と言う事のはず。今現在は、国会議員の身分ではあるけれど、国会も開会していないのである意味猶予期間なのかもしれないけれど、これが国会が始まる来週からどうなるんだろうか。仮に、国会に出席したとなると、日本国として二重国籍を認めることになるわけで、あとあと同様の問題が発生した場合に大変では。

仮に二重国籍となり、両方の国籍を保持することのメリット考えると、どちらの国籍でも利益があるから保持するわけですよね。当然どちらにも義務は発生するわけで、実は得る物が二倍なら負担も二倍に本来はならないと行けないはず。でも、一方の国籍国でその国籍の人間として生活して、必要な時にだけ他方の国籍者として振る舞うことで、一方の負担を軽減することが可能になり、利益が最大化できることが、多分多くの多重国籍者の人の目的なんでしょう。大体体は一つなんだから、二重だろうが三十だろうか、重国籍を保持していても、その国にいられるのは1/2、1/3のはず。その割合が違ってくると言う事は、割合の大きな国に対しての依存度が大きいわけで、それならば他の国籍を離脱してその国に対して責任を負うのがルールでは。結局、利益は得ても責任は負いたくないから、責任を負うときにだけ別の国籍に逃げているだけだと感じますね。

今回の蓮舫氏の罪は色々あると思うけれど、これを理由にアッチ系の人が日本は排外主義だとか、樹穴しか許さない見たいな論調を発信しているのも何だかなぁ。同じような状況にいながらも、正直に真面目に生活している同様の人達にとっては、余計なことをしてくれて、と大迷惑では。マイノリティーとか弱者救済に真面目に取り組んでいる人も多いと思う半面、そういうものを商売の種として利用している少数の人の迷惑が全てを台無しにしている気がする。

0 件のコメント:

コメントを投稿