産経新聞に掲載された、小泉元首相と産経新聞論説員の対談。多分実際の話はこの何十倍も長かったのだろうけど、なかなか面白い内容だなと感じます。冒頭で話の掴みとして、日本語では「エネルギー」に相当する和訳が存在しないという話しが出てきますが、これは一寸誤解があるのでは無いかという気がします。今の外来語を日本語に本区訳したものは、多分多くが明治維新の頃に創造されたものだと思うのですが、その当時には「エネルギー」と言う今の意味での言葉は無かったのでは。例えば「燃料」という言葉はあるわけだし、その素材と言う意味では、個別に「油」とか「瓦斯」とか言う言葉はあっただろうから。多分戦後くらいに入ってきた新しい言葉は、そのままカタカナ語にして外来語として使うようになってきたから、日本語でも「エネルギー」であって、逆に感じしか表記文字が無い中国では、音を当てて書くか、「能源」のように意味を当てて表現するしか無いわけですからね。
原発ゼロに関しては、相変わらず持論を展開している小泉氏ですが、その気持ちは分かるけれどそこに至るまでのピジョンと言うか、筋道が見えない以上個人的には賛成できない。その代替手段を聞いてみても「日本の技術なら出来る」みたいな精神論しか還ってこないし。また、判で押したように原発が無くても既存の発電設備で間に合っているとは言うけれど、一度は止めてたいた老朽化した設備を無理をして使っているわけだから、いつトラブルが発生するか分からない。安全係数がどれだけあるのか不明なわけですよね。さらに言えば、原油価格も下がっているから輸入に頼るエネルギーでもなんとか価格情報が押さえられているけれど、これが以前のように1バレルUS$100なんていう時代だったら、多分電気代だって今の何倍もかかるかもしれないし、日本の経済だって今以上に悲惨だったはず。原油価格下落という「追い風」という幸運が無ければ、決して今の状態だって生まれなかったでしょう。
当時は「劇場型」と言われた小泉氏の政治手法ですが、逆に最近のSEALDsとか民進党共産党等の方が、それに近い方法で訴えかけようとしている印象があります。当時は散々小泉氏の「郵政解散」を批判していたけれど、今は「安保法制解散」のような選挙活動をしようと彼はしているわけですからね。まぁ、初戦勝てば良い選挙何てそんなものかもしれないけれど、でも納得いかない部分もあります。
この対談をざっと見て、一寸安心したのが、引退したとは言えまだ小泉さんはまともだなと言う事。それに引き替え、あれとかあれはどうしようも無いとしか言えないのは何とかして欲しいところですけどね。小泉さんの主張にも、賛成できないところ納得できないところはこの短い対談記事の中にも散見されるけれど、それでも取りあえずは何故とかどうやってと言うような部分は感じられるだけはまともなのかな、と。それが、衰えたとは言え「小泉節」の本領なのかもしれません。そういう健全な反対意見、批判があれば、本当の意味で暴走とか独善というものが押さえられると思うんですけどね。なかなか、そこまで考えている人、出来る人は少ないんじゃ無いだろうか。
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