2015年12月30日

とんでも系

とんでも系教授の一人だと思うけれど、この山口教授という人、じゃあ別の人間が「政府は民主党の意見を的確に批判し、日本政府の公式見解に反することは厳しく処分すべし」と言われたら納得するのだろうか。しかも、その要求を出している相手は、以前「人間じゃ無い、たたき切ってやる」と言っていた相手に対してと言う事に、矛盾を感じないのだろうか。まぁ、この人もそうだろうけど、結局言葉の汚い人は考え方や行動も汚い気がする。

民主党応援団として民主党プレーンとなり、民主党政権時にも裏で支えたものの、結局民主党政権のふがいなさに自ら「リフォーム詐欺の片棒を担いだ」と良いながら、今でもその詐欺体質を改革するようなこともやっている雰囲気も無く、積極的に共産党との統一会派を進めているというのは、外から見ていると目的のためなら手段は選ばないという、彼が今の政権を非難している手法そのままのような気がするけれど。

所謂、左翼、あるいはリベラルと呼ばれるグループの人達の言葉を聞いていると、ある程度理想論的、楽天的な内容になるのはその思想故仕方ないと思うけれど、最近はそれに過激性も加わってきた気がします。過去の社会主義国や共産主義国が、結局は絶対的な中央主権制度で強制的にまとめるしか無いシステムに全て行き着いていることを考えると、結局は彼らが仮に政権を取ったとしても、最終的にはそう言うシステムで社会を維持するしか無いんだろうと感じてしまいます。つまり、自分が考えることが絶対的に正義で有り、他社の考えや対立する考えは全く受け入れられないという態度を突き詰めれば、絶対的存在しかリーダーとしては許されなくなるわけですからね。

民主政治では、それを許さないから議会であったりそこから選ばれた政府が社会を運営するわけだけど、当然そこでは多く意見をくみ入れるために多数決のような決定方法を使用するとか、必ずしも全ての要求を満足させられない。あるいはそれ故に無駄や冗長な部分も存在するけれど、結局大局的に観てそういう部分が均等に全体に分配されることで、不満もあるけれど満足もあるという社会が成立し、それが一番「公平」だと我々は経験から学んできたのでは無いだろうか。社会主義とか共産主義は、確か全ての人が平等になる仕組みなのかもしれないけれど、その中心には絶対的に公平平等で全くミスをしない神以上の存在が居なければ実現しないシステムである以上、人間が中心にいる場合には失敗するシステムだと思う。そういう部分を無視してなのか、気がついていないのか、あるいはそうはならないという理想論があるのか、結局はこう言う人達の話を聞いていると、お花畑的なとんでも論にしか聞こえないんだけど、それでもそう言うことを有りが足る人達が少なからず存在すると言うことに、今の社会が平和なんだという証しなのかも。

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