2015年7月2日

メディアの逃げ道

鳥越俊太郎ともあろう人が、

「これほどマスコミに過敏に反応した政権はない。その結果、報道をやめておこうという一定の萎縮効果をうんでいる」

何て言い訳して、恥ずかしいと思わないのだろうか。

圧力に屈して報道を止めるというのなら、政治家以外でもそうなのか? 例えば、新聞社なら親会社・関連会社から圧力を受けたら萎縮するのか? 取引先とか銀行とかから圧力を受けたら萎縮するのか? そのくせ、一般国民から「誤報を正せ」と言っても、一向に馬耳東風な会社がありましたよね?

先日の特定機密法の時にも「自由な報道が制限される」というような言い訳をしていたけれど、それって自らの力の無さを良いわけにしているだけじゃないの。以前もこんなことがあって、圧力だと騒いだけれど、じゃあメディアが政府の顔色を伺いながら報道する姿勢っていうのは、正しいことだと思っているんだろうか。仮に会社が潰れたとしても、今は個人でも情報発信が出来る時代。昔だって、輪転機が回らなければガリ版刷りで新聞を出した時代だってあったはずだし、先の東北震災の時には、壁新聞を作って情報発信をしたわけですよね。それらの行動と比較して、最初から泣き言を言って逃げ道を作るのって、正しいのだろうか。

確かに今回の自民党議員の発言は言うべき事では無いし、無防備この上ないのだけれど、それに対してメディアの矜持を見せるくらいの余裕がなきゃ。「萎縮してしまう」じゃ無くて、「我々はこの程度の圧力には決して屈しない」位のことを言って見せないと。「報道の自由」とか「表現の自由」という時には声高に言い寄るのに、こういう場合は「これ幸い」と弱者の振りをして同情を買おうとするのは、みっともないとしか言いようが無い気がしますね。

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