昨日は「うるう秒」という事で、常には存在しない「午前8時59分60秒」が挿入されました。朝の情報番組では、どこの局もその瞬間を放送していましたけれど、自分が見ていた地デジって数秒の遅延が発生しているから、「今うるう秒です!」って画面で言っている瞬間って、すでに数秒遅れているんですよね(笑)。その瞬間に時計とか合わせた人は、どうするんだろうか。
で、午後になって気がついたんですが、私が持っている腕時計のうち、電波時計(JJYで時刻補正するもの)と、GPS補正(SEIKOのASTRON)、補正無し(クォーツ時計)の三種類を比較してみたら、GPS時計のみ1秒遅れていることを発見。補正するタイミングにもよるんでしょうけど、ASTRONにはうるう秒補正モードがあるので、知らないうちに補正されていたようです。電波時計も、夜のうちに補正されたのか、今朝の時点では揃っていましたが。唯一補正機能が無いクォーツ時計(一応Grand Seikoだけど)だけですが、これもちゃんと1秒の差で秒針が動いているからたいしたものと言えばたいしたものですね。
今回初めて知ったんですが、アメリカとか日本では繁雑な調整の手間を省くために、このうるう秒を廃止しようと主張している半面、ロシアとかイギリスではシステムの都合なのか継続を主張しているそうで、ちょっと意外でした。実際のところでは、世界の色々な地域では1秒どころかもっと時間の差が発生しているんだろうけど、今の時代1秒の何十分の一何百分の一の単位で色々な仕事が進んでいますから、そう言う時間の差分というものが障害にならないのだろうか。あるいは、ネットワークの中で整合性がとれていれば問題無いんだろうか。
時計の丸い画面を見慣れているからじゃ無いけれど、時間という概念はぐるぐると同じ感覚で繰り返されていくイメージがあります。でも「時間」は過去から未来へ不可逆な方向にどんどん一方通行で進むだけのものなので、そのイメージとは大分違います。そんな違いが、何か特別の感情を人間に生み出すんでしょうか。例えば過去を振り返るとか、未来に思いをはせるとか、あるいは歴史を繰り返させるとか。科学ではまだ解明できない要素ですが、もしかしたら感情的には、あるいは本能的には、人間は既に時間とは何かと言うことを無意識に理解しているのかもしれませんね。それを「悟り」というのだろうか。
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