2015年3月3日

年度末

2015年も、一寸前に新年の挨拶をしていたかと思っていたら、もう3月。3月は、日本にとっては年度の変わり目で、現在の年度の最後の追い込みでも有り、新年度に向けて色々と準備をしなきゃならないときにも。実際、幸いにも年度内の予算が少し余っているので来年土曜の機材なんかを慌てて今購入申請とかしているところ何ですが、いつも思うのがせめて一月とか二月とかこの年度末の予算が新年度へ繰り越せれば、もっと効率的かつ効果的な予算執行が出来るのに。決して楽観は出来ないけれど、何となく以前のような「悪い方向しか見えない」状態から「薄日が差してきて、所々晴れ間も見える」ような感じになりつつあるのかと思うところまでは回復してきたかも。

そんな中でのこんな記事。まさに書かれているとおりというか、以前から不思議だったのが、民主党の支援母体は労組の集合である連合なのに、彼らは殆どそれに関しての実績を上げていないのに何で連合は黙っているのかということ。昔はこの時期になると「春闘」という事で、どこそこは何百円上がるとか、どことどことは何十円の差があるみたいな話がよく出ていて、戦々恐々とした雰囲気が漂うときもあったけれど、そんな雰囲気する感じられなくなったのはもう何年前だろうか。経済の状況が芳しくなく、とても賃上げなんていう事を言える空気で無かった事もあると思うし、一方で昔のような声が大きいものが勝つみたいな事がもう通用しなくなってきた時代になったと言うこともあるのかも。

もう一つ感じるのが、定期的な「賃上げ」って言うのは、昔の企業のように年功序列制度がほぼ行き渡り、ごく一部の昇進を覗けば全体的に平均的に昇進して昇給していくシステムが安定運用されている時代なら、物価スライド分を年度毎にアップしていくというのが、企業側二も労働者側にも一番安定して不満が少ないシステムだったと思うんですよね。でも、その年功序列制度が消えつつ有り、且つ昇給・昇進にしても能力制度が取り入れられて、実績結果で評価される時代になると、余り定期的な昇給っていうのは意味を持たなくなってきたような気がします。逆に、そう言うものに期待しなきゃいけない人達って、今の時代では凄く危機的な状況にあるのでは無いかと。

凄く乱暴な言い方になるけれど、そう言う人達の多くは労働集約型の作業、あるいは定型的な作業に付いている人が多いと思うんですよね。それはそれで必要な仕事ではあるけれど、今の時代そう言う仕事はどんどん海外に出ている状況が続いています。円安で一部国内に戻ってきているとは言え、再び円高になればどうなるか分からないし、大体円安と国内生産による流通コスト・スピードの改善と言う付加価値とのバランスで戻ってきているだけで、その国内コストが上がるようなことになれば、円安ではも海外に戻る可能性は大きいでしょう。時間労働制ではあるけれど、日本の得意な「カイゼン」とか「品質」みたいなものを取り込まないと、賃金は上がったけれど、仕事も無くなったみたいな話になるかも。

年度末というのは、その年度の締めくくりでもあるけれど、既に次の年度の下準備が始まっていることも認識しないと。

0 件のコメント:

コメントを投稿