2013年9月8日

政治利用

今回のオリンピック招致運動で、最後のプレゼンテーションに高円宮久子妃が参加してスピーチすることが政治利用になる・ならないという話が出ていました。オリンピックが「政治活動」なのか、あるいは招致活動が「政治活動」なのか、それがよく分からない。オリンピックって、政治とか国とか、そう言うものとは関係無いと言う前提ですよね。まぁ、実際には政治的要素が感じられるのは事実だけど、建前的には無関係なはず。大体、開催主体は「都市」な訳だから。だから、開催目的が政治目的でないのであれば、またそれが皇室の活動目的の範囲内であるのであれば、皇室関係者が代表として参加する事に不思議は無いと思うんですよね。

仮にオリンピック関連活動が政治的と言うのであれば、前回の東京オリンピックで開会の辞を述べられた当時の昭和天皇も「政治活動をした」と言わないといけなくなるわけだし。そんなことをいったら、何年か前に無理矢理今の習近平国家主席との面会を設定させた方が、よほど「政治的」と言わないといけないわけで。今回だけで無く、オリンピックが「平和」とか「友情」とか「友愛」とか、さらに今回は「復興」という意図も含んでいるのであれば、それって皇室の目的とも一致しているはず。そう言う意味では、今回の高円宮久子妃もIOC関係者との関係が深いので良かったけれど、マドリードのように皇太子殿下が参加しても良かったくらいでは。でも、久子様のあの流ちょうなフランス語でのスピーチを見ると、やはり今回は久子様が一番の適任者であったのかも。地位的なものも重要だけど、それまでの経緯とか実績というのも見逃せないですからね。

今回は、招致成功が全てを「良し」に変えるわけですが、結果的に皇室関係者がIOC総会に出席して招致成功に繋がったと言う事は、いろいろと批判も出てくる皇室問題についても、大きなプラスの要因となったことも事実だと思います。「伝統墨守」という言葉があるけれど、皇室という存在はその際足るものであると思うけれど、それでも時の流れと共に変わらないといけない部分、自ら変わっていく部分も必要だと思うんですよね。そう言う意味で、昔のように「崇める存在」から、身近に寄り添っている感覚のある存在に少しずつでも変化していければ、日本人にとっての皇室という存在の意味も、新しいものへと変化できるんじゃ無いでしょうか。

今回の参加については、宮内庁は難色を示していたようですが、そう言う考え方・態度の方が「政治的」な感じがしますね。

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