2013年9月6日

宗教という存在

CNNのサイトに掲載されていた記事。レストランで駄々をこねる障害を持つ子供に困っている家族に、そっと渡されたメッセージ何ですが、結構こう言う話は向こうだと聞きます。PC (Politically Correctness)という言い方をするけれど、日本では「障害者」という方をして、昔は英語でも"Handicapped Person"と言っていたのが、今では"Disabled Person"とか、このメッセージのような"Gifted Person"という言い方を効いたこともあります。多分に、宗教的(キリスト教的)な意識から来るんだろうなといつも感じるんですが、だからこそ良くも悪くも日本人にはちょっとピンと来ない話かも。

勿論、昔と比べれば日本人の意識も変わってきているので、こう言う意識や考えを持つ人も増えていると思うんですが、決定的に違うと思うのが、そう言う意識や理解を支える背景としての宗教観だと思うんですよね。アメリカでは、普通に水曜日の夜ミサに参加したり、週末は必ず教会に寄ったり、あるいはボランティアとか普通にやっているわけで、残念ながら日本の主要宗教である「仏教」とか「神道」などと比べると、身近な度合いはかなり違うと感じます。

例えば、最近では豪雨とか竜巻で被災される地域や人が沢山出ていますが、アメリカの場合ああいうケースでそう言う被災地や被災者を助けるのは、まずは教会関係の人達なんですよね。何年か前に、「派遣村」が年末に出来ましたが、ああいうこともアメリカだと多分地元の教会なんかのボランティアが手当てするんだろうと思います。日本でも、勿論神社とかお寺でそう言うサポートをするところもあるけれど、アメリカ程そう言う機会は見ないですよね。ちょっと語弊のある言い方かもしれないけれど、日本の神社仏閣は来世の幸せのために徳を積むという考えなのに対して、キリスト教って現世の罪を償うために努力するみたいな考えだと思うんですよね。そう言う考えがあるから、"special children for special people/family"という言い方をして、言われた方も納得するんだと思います。

どちらが良い・悪いと言う事では無く、アメリカ人にとって宗教というものがどれだけ生活の中に入っているのか、再認識する話だなということです。だからこそ、そう言うことに馴染みの無い日本人は、注意しないといけないんですけどね。

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