2013年8月13日

目には目をの時代?

冷蔵庫に入った自分撮りを公開して問題になったブロンコビリー足立梅島店が、再開を断念して閉店するという記事。ここの所、こういう「おふざけ投稿」がブームのように色々な場所で発生したわけですが、ちょっと調子に乗りすぎですよね。まぁ、最初に発生した事件を受けて、何となくたがが外れて我も我も状態になったんだと思うのだけれど、ちょっと頭を冷やさせるためにも賠償責任とか厳しい処置が必要かも。

あくまで邪推ですけど、多分同じような事ってこれまでもあったんだろうと思うんですよね。ただ、それを安易にTwitter何かで公開することまで流行らなかっただけじゃ無いかと。あるいは、その会社の中では知られていたけれど、外部に流出していない間は、会社内の処罰で済ませていたんじゃ無いかと。ただ、そういう措置が何となく「やってもそれほどひどい処罰を受けない」みたいな変な安心感を生んで、それが今回の様に外部に出て社会的な批判を受けた場合どうしようも無くなったんじゃ無いかと。ある意味、情報リテラシー不足の若者が、何となくいつものつもりで軽い気持ちで投稿したら、実は会社的に大きな問題になったと言うところじゃ無いかと。

厳しいことを言えば、そう言う兆候というか前兆を把握出来ていなかったお店側の問題もあると思うんですよね。一回二回じゃ分からないかもしれないけれど、分からないとなれば何度も繰り返したくなるだろうし、そうなると当然マネージャーとか店長の耳にも入るだろうし。そう言う、細かな確認という点では、お店側組織側会社側にも問題はあったと思います。しかし、最大の理由はいわゆる「常識」の範囲をはき違えている当事者なわけで、それについては厳しく処罰して本人だけでは無く、そう言うことを面白いと思っている同様の人達に対しての戒めにもしないと、多分似たようなことはこれからも何度も発生するでしょうね。

同じように感じるのは、虐め問題なんかでも、虐めが発覚しても結局は加害者側は注意されて終わりで、被害者側にとっては多分納得できない部分も多く残るんじゃ無いだろうか。「リンチ」と何が違うかと言われてしまうかもしれないけれど、ペナルティーとして被害者が加害者に対してこれまでやられたことをやり返す場を与えるという事も、もしかしたら相手の痛みを知る上で必要かもしれません。昔なら、親とか友人とかあるいは近所の小父さん小母さんがそういう「被害者の痛み」を与えていたから、加害者側にしても「加減」というものを分かっていたと思うけれど、今はそう言う体験値がありませんからね。車の中に子どもを置き去りにして死なせてしまう親にしても、実際に車の中に閉じ込めて苦しさを味わえば良いと思ったりしますし。

全ての犯罪にそう言うことを許すことは出来ないと思うけれど、「懲罰」というよりは「躾」という意味で、何か考えないといけない時代になってきたように感じます。

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