2012年4月1日

アナログ放送完全終了

昨日はmovaの終了もありましたが、被災地の地デジ移行・アナログ波停波もあったんですよね。アナログテレビと言えばブラウン管。ブラウン管と言えば、故高柳健次郎博士。高柳氏とブラウン管と言えば、静岡大学工学部での日本で始めてブラウン管に投影された「イ」の字と、浜松の人間にとっては少々関係がある話。ブラウン管自体は、既に何年も前に薄型液晶とかプラズマディスプレイに取って代わられていたけれど、この地デジ移行完了でほぼその使命は終了しましたね。勿論、別にアナログテレビでも、地デジコンバーターを付ければ視聴可能なわけですから、完全にブラウン管テレビが無くなったわけではないだろうけど、でも実質的にその役割は終わったと言えます。

技術革新は必要なものだし、どんなに優れた発明・技術であっても、時間が経過すれば陳腐化し、それらに取って代わる存在は必ず登場するものです。だから、このアナログ波放送二しても、60年近くかな、存続していたのは、それだけ必要な技術だった証明でもあるんでしょうね。ただ、先の震災を経験して後では、比較的簡単に情報が入手できるアナログ技術って、やっぱり何らかの形で残しておくことも必要じゃないかと言うこと。例えば、アナログテレビ放送があれば映像はみられなくても、音声だけでも受信して情報を得ることが出来ます。デジタル放送だと、映像にしても音声にしてもデコードしなきゃいけないから大変。だから、AM波のラジオ放送だけは、何らかの形で残していくことは必要じゃないかと思います。radiko等のサービス拡大も受け入れつつ、いざとなったら昔の鉱石ラジオ・ゲルマニウムラジオでも放送視聴できるAM放送だけは、なんとしても残さないといけないかも。でも、AM放送もFM放送に習って高音質化をするために変わりそうだし。

何かあったときの代替手段は常に考えないといけないものですけど、便利になればなるほど、いわゆる「ローテク」は消えていくわけで、そうなると代替にならない代替手段が残るばかりではないかと、ちょっと心配になります。

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