2011年2月24日

子供の頃から英語

昨日お昼を食べながらCX系列の「笑っていいとも」を見ていたとき、あの「尾木ママ」も含めた教育評論家4名をゲストにクイズ形式のコーナーがありました。その中で「小学校低学年からの英語教育」の是非みたいな質問があり、ちょっと以外だったのはこの4人全員が否定的だったこと。理由は、例えば全体のフローが決まらないうちの見切り発車だからとか、教える側の体制が整わず未熟な習得状態のまま中学校に進学して、その修正作業で逆に中学校での英語教育が大変になるとか、どちらかというと組織とかシステムに関しての理由でしたが。

話は変わって、この日曜日にTBS系列で夕方放送されている「夢の扉」の話題も幼児英語教育の内容でした。「教育」と言うと語弊があるのかな、英語を教えるのではなく、英語しか使わない保育園で、言ってみれば両親が突然海外出張が決まり、そのまま現地(US)の保育園(があるかどうかわからないけれど-笑)に子供が入る感じでしょうか。自分がそんな立場になったら、ちょっと(かなり?)困るけれど、吸収力の旺盛な幼児だと数ヶ月でちゃんと会話できるだけの能力を自然に身につけるんですね。確かに、私の弟夫婦もカナダに一年ほど言っていましたが、当時小学校1年に上がる頃だった姪っ子と甥っ子も、半年後にカナダを私が訪れたときには、かなり綺麗な発音で喋ってましたし。只、すでに成人を過ぎている彼らは、今では全く発音も英語も忘れているように、早期教育はしてもその後継続しないとどうしても消えてしまうもの。番組では、保育園だけでなく、英語しか使わない村を作りその後の小学校でも英語付けの環境を作ろうとしていました。

両方の番組たまたま見ていて思ったのは、必要なのは英語の「技術」なのか「能力」なのか、ということ。仕事で英語を使うなら、日本語を英語に訳すあるいはその逆に翻訳する「技術」があればOKな訳で、「英会話が出来なきゃ」とか「英語を勉強しよう」と思っている殆どの人は、これを目指しているんでしょう。一方で、「アメリカで生活したい」「向こうでビジネスをしたい」という人は、「能力」が必要なんでしょうね。技術的には、発音とか文法とかは劣るかもしれないけれど、未熟なら未熟なりに相手を説き伏せる迫力とか物怖じしない態度とかも含めての「能力」。自分の周りには、TOEIC 800/900なんていう人が結構いるけれど、仕事で相手と英語でミーティングとかプレゼンテーション、さらにはビジネス上の丁々発止のやり取りなんかは、必ずしもその特典とは比例していません。その一番の理由は"Hearing"の差じゃないかと個人的には思います。

どんな言葉でも、子供はまず耳から入ってくる音に反応して、その意味を自分の中で構築していきますよね。だから、まず「聞く」という行為が一番需要何だろうなと。自分も英語が出来ない頃に出張で半年以上英語漬けの状態にいて、以後それなりに仕事で使えるくらいまで能力が伸びたと思っているので。だから、まずは「夢の扉」のように、英語漬けにするというのは重要だと思います。只、それを少なくとも中学生とか高校生くらいまで徹底しないと、なかなか厳しいんじゃないでしょうか。もう一つは、そういう状況で身につける「文化的背景」。アメリカにいて英語の中でアメリカの文化背景を理解していく事は、例えばちょつとした言い回しとか引用なんかにも反映されるから重要。日本語で言えば、慣用句とか四文字熟語みたいな言葉を知っているかどうかということでしょうか。これを、日本にいて英語の環境にいるだけでは、日本の言い回しも途中だと英語の言い回しも途中という事にならないか、というのが個人的心配。

でも、インドとかシンガポールとかフィリピンとか、もともと英語文化でない国でも国語として英語が使われてる。そういう場所では、多分いろいろな葛藤というか試行錯誤みたいな物があったと思うんですよね。で、結局は時間が解決していって、「インド英語」とか「フィリピン英語」みたいな物が出来ていく。丁度、「英国語」が「米国語」になったように。だから、「日本英語」も後何十年かすれば定着して、もしかしたら東京とかのビジネス街では、どこでも日本英語が使われるんだろうか。結構日本人のことなので、そうなる前に「インプラント式自動翻訳機」なんていうのを作ってしまうかも。いゃ、中国語が今の英語に取って代わっているかも...

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