2010年11月13日

八つ当たり長官

裁判の様子などを見ていて、時々どうしても理解出来ないのが被告人の弁護内容。どうしても、被告人=悪、被害者=善、という前提で見てしまうからそういう気持ちになるのだろうなぁ。人権としてたとえ被告人であっても適正な限度の処罰を与えないといけないから、それに対しての弁護活動は必要ということは理解していても、被告側としても出来るだけ軽い量刑出来れば無罪か執行猶予を勝ち取ろうとするから、どうしても第三者的には「そりゃ無いだろう」とつい突っ込みを入れたくなるような場面が多いように思います。全部が全部そうだとは言わないけれど、時々「そんな話、素人が書いた推理小説だって書かないだろう」みたいな展開をする場合もあるし。

で、弁護士出身ということで、やっぱりそういう論理展開が身についているんでしょうか。自分の機密管理のミスを「そんな高倍率なカメラを使った方が悪い」と言う、某官房長官(笑)。某議員が隣の席の議員の投票ボタンを押したシーンだって望遠レンズのお陰だし、自分たちの利益は良いけれど、立場が逆になると駄目という都合の良い倫理だなぁ。正直、この件に関して言えば、ああいう公の場所で機密文書(ではなく、個人的メモと言っていたようだけど、それならさらに問題無いはず。個人のミスなわけですから)を開くこと自体、機密保持意識が低い証拠だし、それってまさに自分が指揮している尖閣ビデオ問題と同じ事。その時その時自分の都合の良いことを言う光景は、裁判で理不尽なというか非論理的な弁護理論を展開する弁護士の姿とオーバーラップするし、だからこそ何か胡散臭さと不信感しか感じられないなぁ。

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