北京五輪に引っかけて「奥林匹克(オリンピック)」「排球(バレーボール)」といった中国語のカードを示し、「何だと思う?」と英語で質問も。中村さんは「単純に会話を繰り返させる『リピート・アフター・ミー』では、小学校高学年は興味が持てずついてこない」という。ただし、準備には相当な手間がかかり「担任を持っている教員がやるのは無理です」と語った。後半は同意するけど、前半の部分はどういう意図だろう。英語だけでも大変なのに、中国語も混ぜてどういうつもりなんだろう。だいたい、英語の会話の中で「漢字」がそのまま使われることはまず無いわけで、なんかそういう現実を無視したような「教える英語・覚える英語」は止めて欲しいですよね。そういう経験が、中学とか高校とか、あるいは大学・社会人になってから変に英語に対して身構えて学んでしまうような原因になりそう。 英語に限らず、外国語って歌を覚えるのと同じように、やっぱり日々何度も聞いたり話したりという行為の先に身につく物だから、そういう点をもし教えるのであれば重視して欲しい。でないと、英語のテストの点は高いけれど、実際の会話は出来ないなんていう「英語の得意な日本人」ばかりが増えそう。日本語だって、学校で教わったから話せるようになる訳じゃないわけだし。もちろん、正しい日本語・正確な日本語は、学んで覚えるものだけど、そういう英語は必要な人が後から学べばいいわけだし。まずは、子供が親から言葉を少しずつ学んで覚えるように、そういう機会を提供することを考えない限り、意味無いような気がする。
2009年2月24日
小学校の英語教育
朝日新聞の記事「やればやるほど英語嫌い」という話。個人的には小学生での英語授業は無意味だと思う。英語教育の前に日本語の基礎をちゃんと身につけるべきだと思うし(これは、後から英語も含めて外国語を習得する時に大切だから)、学校で週に何度か英語を勉強しても日常生活で継続して使わない限り身につかないと思うから。もしやるならば、聞き分けられる耳の可聴範囲を広げるという意味で、英語の歌を覚えたり、それこそ日々の生活の中に登場いるいろいろな物、野菜、果物、道具等の単語を覚えるゲームのような内容の方がいいと思う。会話にしても、買い物をするとか、遊びの方法とか、もしアメリカにいたら子供が日常使うだろう内容にして、「覚える」よりも「慣れる」内容にすべきだと思いますね。
だいたい、小学生の頃は「学校」は好きかもしれないけれど「勉強」が好きな子供はまずいないわけで、「英語嫌い」というよりは「勉強嫌い」はいつでもあること。その中でやるからには、教える側の覚悟も必要だと思うけれど、この記事を見ている限りではそうでもなさそうですね。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿