2008年6月1日

鶴丸引退

昨日はどこのチャンネルのニュースでも、JALの旧塗装・鶴丸の引退の話題が登場していました。私が海外に行くようになったのは、1988年に初めて海外出超でUSに出かけたのが初めてです。この時は、行きは成田-ダラスのAA便で、帰りは、当時は豪華な時代でチケットはビジネスクラスのノーマル・帰路オープンだったので、当時国際線に進出したばかりのANAのワシントンDC-成田で戻ってきました。ですから、「海外でみる日本の印」としてはJALの鶴丸より"ANA"のトライトンブルーの方が記憶にはすり込まれているかも。もっとも、この帰国便、マシントラブルでワシントンDCの出発が8時間以上も遅れるトラブルに遭遇しさんざんな目にあったんですが(キャンセルよりは良かったけれど)。

鶴丸に搭乗したのは、その2年後、L.A.から日本への帰国便で、この時はフライトスケジュール問題無かったんですが、担当のCAさんが海外の航空会社の実習生で、日本語があまり得意じゃなかった人だったんですね。で、私は一応当時は英語もそこそこ出来たし、それほど不磨じゃなかったんですが、隣に座っていた日本人乗客がもう文句たらたらで、で、厳しい口調でいろいろ言うもんだからこのCA実習生さんますます萎縮してしまい、サービスが滞ってしまって... この隣の乗客(男性)の態度が不愉快で、それがそのままJALの印象になって(って、おい)。

国際線はJALしか飛んでいなかったANAが国際線に参入する1988年以前から海外に行かれている方にとって、海外の空港で見る鶴丸は、確かに勇気づけてくれるシンボルだったんでしょうね。私も海外に行くようになって、例えば車ならトヨタとかホンダとか、家電製品ならSONYとかPanasonicとか、日本でお馴染みのブランドや商品をUSの街角などで見つけると、仕事の辛さも忘れて「ほっ」としたものですしね。最近では、日本の製品も日本人も海外に溢れていて、そういう気持ちを感じる機会も少なくなってきてますね。グローバル化という意味ではいいんだろうけど、海外でふと日本のこと、故郷のことを思い出すというのは、何かホッとする感じであるのは今も変わりません。鶴丸は消えていくけれど、そういう気持ちはこれからもいろいろな機会に現れては消えてを繰り返してずっと残っていくんでしょう。

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