2009年4月23日

世襲議員

最近話題になっている「世襲議員」。親、あるいは祖父母から「3バン(地盤、看板、鞄)」を引き継いだ政治家というのが一応の定義みたいだけど、地盤(立候補地)を変えればOKというのも変な話。だって3バンを引き継ぐのが新人候補の進出を阻害しているなら、その中の一つを避ければ許されるというのも不公平ですよね。また、じゃぁ親族ではなくて身内(秘書とか)が引き継ぐのだって、ある意味「準世襲」とも言えるんじゃないでしょうかねぇ。この場合は看板以外を引き継ぐことになるわけだし。

議員を「職業」と見てみれば、親から子に代々継承していくことも、悪い点ばかりでは無いかも。政治家の技術とはいわないが、これまでどういう事を実行してきたのか、今何が必要なのか、どういったことが望まれているのか、そう言ったことをどうやって訴求して実現していくのか、いわゆるコネクションみたいなことも含めてゼロから習得するよりは望ましいものもあるでしょうし。まぁ、そう言ったことが癒着とかなれ合いみたいなことにも繋がるから問題もあるのも事実ですけどね。ただ、そう言うことを言い出すと世の中の企業の多くも同じ問題を抱えている事になるわけで、一律に駄目とも言えない要素じゃないかと思います。

政治家というのがちょっと特殊な職業ということもあるので、一般の職業継承とは異なる条件が必要という話も分かるけれど、その特殊性の最たるものが「有権者による選択」によって選ばれることだと思います。となると、結局その政治家が政治家として活動するためには選挙というフィルターが必要なわけで、世襲によって好ましくない人物が当選したということは、言い方を変えればその人物に投票した有権者にも責任があるように思います。「世襲議員」の話題で議員側の責任や態度が厳しく問われるのは当然として、それと同時に選ぶ側・有権者の意識や態度もこの機会に問い直されるべきじゃないでしょうかねぇ。昔と違って、Webやインターネットを通じて、その候補の情報や日々の様子といった事も入手可能なわけだし、以前と違ってその候補者の「名前」ではなく「実績・能力」という判断材料は入手しやすい時代なんですから。"Change"には「変える」という意味も「変わる」という意味もあるわけですし。

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